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1998-1999 イタリア留学①
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)

大学入学の1993年春。
オリエンテーションで学科をいろいろと受ける。
自分のとりたい資格にはどの学科が必要なのか、単位はどうなのかなどを考えねばならない。

その中には当然「外国語」も1つ履修しなければならなかった。
私は英語が大の苦手。。。。
英語を除くフランス語、ドイツ語、中国語、イタリア語のなかからさて何を選択する?

フランス語は「鼻から抜ける発音ができなさそう」、ドイツ語は「発音が固いイメージ(なんか怖い)」、
中国語は「発音がなんかややこしそう」、イタリア語は「ローマ字読みでいいから簡単そう!」ということで「イタリア語」を選択した。

まぁ、それだけが理由ではなく高校時代に絵を教えてもらっていた方がイタリア旅行に行ったりして
いろいろと聞いていたのでちょっと興味を持っていたのだ。

そして受講するクラスの先生がまたカッコイイ(日本人)ので、毎回授業を受けるのが楽しみだった。

動機はどうであれ、学科の中で一番力を入れたのは「イタリア語」だった。
ラジオ講座のイタリア語を欠かさず聞いて、部屋中のものにイタリア語の単語を貼り付けたり、
イタリア語の映画を借りてきて字幕の部分にガムテープを貼りつけてイタリア語だけで鑑賞したり。

そのうち、イタリア語の先生から個別に指導を受けるようになって春休みを利用して、イタリアへ短期の語学留学を勧められた。

1度目の短期留学でイタリアにはまり、翌年の春休みも再度イタリアへ。
おりしも大学4年になる春でほかの同級生は卒業後の進路について考え始めている時期だった。

結局2度にわたる短期留学で「卒業後は自分で資金をためてイタリア留学したい」と思うようになり、
両親には申し訳ないが、卒業後はデザインの道へ進まず、留学資金をためるために派遣社員の仕事に就いた。

派遣先ではありがたいことに契約社員になることを勧められたが、留学資金をためることが目的だったので
丁重にお断りして1年半勤務したのち退職。晴れて留学することになった。

今思えば、我ながらよくやったと思う。
何をか。

イタリア留学への手続きである。
留学先への提出書類の部分だけ、翻訳をプロに頼んだか大学の恩師に頼んだけど、
イタリア大使館へVISAの申請とか留学先へのもろもろの連絡など、今思えばだけど
結構面倒だったはず・・・・

ということで、前置きが超長くてすみません。

1998年の9月末に渡伊することに。

初めてのイタリアは英語の話せる姉がいてミュンヘントランジット、2度目のイタリアは大学の友人と3人でミラノ直行便だった。
1998年3度目のイタリアは完全1人。キャセイパシフィック航空で香港トランジット、、、

【香港の空港】
1998_Italia

英語は全く分からない。イタリア語は当然通じない香港の空港で乗り換え場所がわからず、スケッチブックに絵を描いてインフォメーションの人に行き方を教わった。

1998_Italia

トランジットは3時間ほどだったかな。
言葉がわからないので免税店で買い物を楽しむこともなく(そもそもそんな金銭的余裕もないが)、香港からローマへ。

1998_Italia

朝のうちにイタリア入りというのは初めて。
夜じゃないし電車移動でも怖くないが、知人がリムジンサービスをやっていたので送迎を頼む。

ホテルは「ローマに来たらここ!」と決めている「ホテル アングロアメリカーノ」、コンシェルジュのチェーザレとフロントで記念撮影は毎度お決まり。

1998_Italia

チェックインしたら時差ボケも気にせず、ローマ散策。
「ホテル アングロアメリカーノ」は立地に恵まれ、トレビの泉、スペイン広場、ボルゲーゼ公園など徒歩圏内。
コロッセオだって歩いても苦ではない。

【コロッセオ】
1998_Italia
☆コロッセウム(ラテン語: Colosseum, イタリア語: Colosseo コロッセオ)は、ローマ帝政期に造られた円形闘技場。英語で競技場を指す colosseum や、コロシアムの語源ともなっている。建設当時の正式名称はフラウィウス円形闘技場(ラテン語: Amphitheatrum Flavium)。現在ではローマを代表する観光地である。
ウィキペディアより 

【トレビの泉】
1998_Italia
☆トレヴィの泉(トレヴィのいずみ、イタリア語: Fontana di Trevi)は、ローマにある最も巨大なバロック時代の人工の泉(噴水)である。ローマでも有数の観光名所として賑わっている。トレビの泉、トレドの泉とも呼称される。
ウィキペディアより 
つい最近、イタリアのブランド「フェンディ」の寄付のもとに改修工事が終わったとTVで見たなぁ。

【ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂】
1998_Italia
☆アルターレ・デッラ・パトリア(伊Altare della Patria、国父の祭壇)は、イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の記念堂。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele II)、或いは短くヴィットーリオ(Vittorio)と呼ばれる場合もある。他に無名戦士の墓としての役割も兼ねており、祭壇が設置されている。建物は首都ローマの中心地に位置しており、ヴェネツィア広場とカピトリーノの丘の間に建設され、1911年に完成した。
ウィキペディアより 
通称「ウェディングケーキ」と言われる。

1人だったので独りで食事にお店に入る気にもなれず、ただぐるぐるとローマの街を歩く(笑)
イタリアでたまに見かけるのが路上に有名な絵画を模写するパフォーマンス。

1998_Italia

とても上手な人もいれば、「え?」という人もいる(笑)
のちに日本人で路上に絵を描く人に出会ったが、彼はどこかの大会で賞をもらうほどの腕前だった。

ローマの写真はこれしか残っていない。
この後、どう過ごしたのかはすでに記憶がない(笑)

1泊したら翌日は留学先の街「シエナ」へ移動。車窓からの景色。

1998_Italia

当時のFSの車両はコンパートメント(個室)になっていて、3人掛けの席が向かい合った1部屋6人。
2等車だとちょっと怪しい人と乗り合わせることもしばしば(怪しく見えるだけなんだろうけど)、、、
その反面、気さくなイタリア人と乗り合わせたりすると会話の練習になったり、食べ物を分けてくれたりもした。

あっという間に「シエナ」到着。
宿は前もって決めてなかった。旅行者のバイブル「地球の歩きかた」を片手にユースホステルへ。
素泊まり1500円くらいだったかな。

ユースホステルからの眺め。(シエナの中心地からは結構離れている)

1998_Italia

部屋は個室と共同部屋とあり、少しでも節約したい私は共同部屋を希望したのだが・・・・・

1998-1999 イタリア留学②へ続きます。

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